東京地方裁判所 昭和43年(ヨ)1003号 判決 1968年9月10日
債権者
北川桃雄
ほか五名
以上代理人
下光軍二
上田幸夫
上山裕明
小坂嘉幸
武田峯生
債務者
松岡合資会社
債務者
株式会社辰村組
主文
一、債権者曾根朝起が本判決言渡後七日以内に債務者松岡合資会社のため保証として金五万円を供託することを条件として次の仮処分を命ずる。
1、同債務者は、本判決送達ならびに右保証供託後七日以内に、同債権者所有にかかる別紙目録第二記載の土地の南側境界線に添つて設けられた同債務者所有のコンクリートブロック(基礎はコンクリート造り)塀につき、同債権者所有地の地表から高さ1.8米を超える部分を撤去し若しくは同部分を金網様式の塀とせよ。
2、同債務者が右期間内に右命令に従わないときは同債権者の申立を受けた東京地方裁判所執行官は右塀部分を撤去することができる。
二、債権者らのその余の申請を却下する。
三、訴訟費用は債権者らの負担とする。
事実
第一、申請の趣旨
(債権者ら六名の申請)
一、債務者らは、別紙目録第六記載の建物の四階床の北端を通る冬至正午の日光線より上の部分の建築工事をしてはならない、または取り毀さなければならない。
(債権者曾根の申請)
二、債務者らは債権者らと債務者松岡合資会社の所有地の地境に設けたコンクリートブロック(基礎はコンクリート造り)塀につき、債権者の地表より1.8米を越える部分を撤去しなければならない。
第二 申請の趣旨に対する答弁
一、本件申請を却下する。
二、訴訟費用は債権者らの負担とする。
第三 申請の理由
一、債権者らの居住状態
1 債権者北川桃雄は東京都品川区上大崎二丁目二番四号に別紙目録第一記載の土地建物を所有し、妻及び長男の債権者北川安正夫婦と孫と共に居住している。
2 債権者曾根朝起は右同所同番三号に別紙目録第二記載の土地及び建物を所有して妻と居住すると共に、右建物のアパート部分を三家族に賃貸している。
3 債権者国松ふみ江は右同所同番二号に別紙目録第三記載の土地及び建物を所有して居住し、アパート部分を三家族に賃貸している。
4 債権者堀内義房は同号に別紙目録第四記載の土地建物を所有し家族と共に居住している。
5 債権者山田恒治は同号所在別紙目録第五記載の建物を占有し家族と共に居住している。
6 債権者らが各自の右土地を取得し建物を建築したのは昭和二二年頃からである。当時債権者らの土地の南側に隣接する宅地1,215.8667平方米(以下本件土地と略称する)は都有地であつたが、事実はその隣接する東京都の自然公園の一部のようになつており、閑静な環境をなしていた。その為債権者らの住居の採光、通風は良好であり、債権者らは健康で快適な生活を享受してきた。
二、債務者らが建築中の本件アパート
1 債務者松岡合資会社(以下債務者松岡と略称する)は昭和三七年頃東京都から本件土地の払下を受けて所有権を取得し、その上に「長者丸アパート」なる鉄筋コンクリート造陸屋根四階建の建物一棟(以下本件アパートと略称する)の建築を計画し、債務者株式会社辰村組(以下債務者辰村組と略称する)をして右建築工事を請負わせ、同債務者は昭和四三年一月一七日頃その建築工事に差手した。本件アパートの規模は東西に長さ42.2米、巾員七米、高さ約一四米(但し四階部分13.15米、換気塔0.9米)、各階の面積合計361.961平方米である。なお本件土地は建ぺい率六割地区に属する。
2 本件アパートと債権者らの建物との距離は約四ないし五米位しかなく、債権者らの所有又は占有する各土地、建物と本件アパートとの位置関係の詳細は別紙第一図面見取図記載のとおりである。
三、債務者らの本件アパート建築行為により債権者らの蒙る損害
本件アパートが完成すると以下のような事態が発生する。
1 (日光の遮断)
本件アパートの為に債権者曾根所有家屋は冬至において正午の日光も全くあたらず日光線はゼロになり、他の債権者居住家屋も別紙第一図面見取図記載のように全く日光が遮断される。
2 (通風障害)
また夏は本件アパートが壁となつて南風をさえぎる結果一段と暑くなりむし風呂に入つた状態になることは必定であり、冬は道路をふさがれた北風が本件アパートに添つて下降し、転じて債権者らの住宅に南から吹きつけることが予想される。
3 (経済的損害)
(一) この結果屋内は暗くじめじめし、日中でも電灯の光を必要とするほか、冷暖房の費用も甚だしく増大し洗濯物も乾かなくなる。
若し本件アパートが二階建であるならば、債権者曾根の建物の二階部分は冬至において午前一〇時から正午までの二時間日照を受けることができるので、二階建建築の場合には債権者らは受忍義務があるものと考える。そこで本件アパートが二階建と仮定した場合に債権者らが負担すべき年間の光熱費の額と、四階建の場合のそれとの差額を算出すると、債権者北川桃雄二一、二七〇円、同曾根四三、七四〇円、同国松二七、八〇〇円、同堀内一三、六〇〇円、同山田四、二九〇円、合計一一〇、七〇〇円となる。これが本件アパートが完成した時に債権者らが蒙る光熱費の年間損害額となるわけであるが、かかる負担が殆んど永久的に続くわけである。
(二) 本件アパートにより日照、通風を全く遮断される結果、東京という高温度の地理的条件と、債権者ら所有地の地質が水分を多量に含んでいるという特殊条件とにより債権者らの建物の朽廃の進行が甚だしくなり、畳建具の腐朽も早まる。
(三) また債権者ら所有の土地建物の価額が低下することは確実で債権者らの所有権は著しく侵害される。債権者ら所有土地の付近は住宅街であつて事務所や店舗に転用がきかないから尚更のことである。
4 (精神的損害)
本件アパートの建築工事着手により債権者らの家庭は暗い希望のない墓場のようなものになつてしまつた。太陽系の生物である人間は本能的に日光を求めるものであり、住宅における太陽は万民共有のものである。これを奪われることによりノイローゼにならないとは保証しがたい。債権者らの蒙る精神的打撃は受忍義務を越えるものである。
5 (保健衛生上の被害)
更に木造、畳式の日本住宅で絶対必要な日光と通風を遮断されれば、夏はむし風呂の中で、冬は冷蔵庫の中で生活しているような状態となり債権者らの健康は著しく阻害される。
(一) 幼児の場合太陽光線の不足はくる病の原因となる。現に債権者北川安正には一才未満の男児がいて本件アパート工事の騒音のため養育に困難を来しているが、将来債権者らの家庭では健全な育児は不可能となろう。
(二) 債権者北川桃雄は六九才、同人の妻は六六才で発作性頻脈疑及期外収縮の病を持ち、債権者曾根は六八才でぜんそくの持病を持ち、同人の妻は七三才で高血圧症であり債権者堀内は六〇才、その妻は五二才と、三家族まで老人家庭である。これら老人や病人にとつて太陽を奪われることは寿命を縮める危険さえあるのである。
6 (職業上の犠牲)
債権者北川桃雄は共立女子大学の教授であり週二回同大学へ出るほかは主として自宅の研究室で研究に専念している。債権者曾根も自宅において著述を仕事にしている。二人ともこれまで快適な環境で研究や著述にいそしんでいたものであるが、本件アパートが完成すれば仕事の能率は落ち多くの犠牲を払わされるであろう。
四、日照権
1 日照権の内容
住居において直射日光及び通風を享受することは、健康で快適な生活のために必要不可欠な、従つて法的に保護されるべき生活利益であつて日照権と呼ぶことができる。
日照権は人格権の一種であるが、債権者らは日照権の具体的内容として、住宅における直射日光を冬至に最低四時間享受する権利を主張するものである。
(一) 日照権は都市の過密化により日照の自由が侵害され、日照問題が世論を動かすようになつた昭和三〇年代から発生して来た新らしい権利である。しかし、昭和三五年頃以降の朝日、読売など各新聞の記事で日照問題を扱うものが頻出し、同年及び翌三六年頃から時の法令、ジュリスト等法律専門雑誌に「日照権」という言葉が使われはじめたこと、殊に昭和四二年以降の新聞、雑誌、ラジオ、テレビが「日照権」に関する世論の高まりを反映していること、かつ「日照を奪われた被害者友の会」が団結して太陽を返せ運動を始めたこと、更に東京高裁昭和四二年一〇月二六日判決が日照を奪う違法建築に対する慰藉料請求を認容したことを考慮すれば、日照権という概念は最早国民の間に定着したものということができる。そして日照権は以下に述べる理由から冬至四時間日照をもつてその内容となすべきである。
(二) 先ず、建築業界では古くから冬至における南側建物の影深を基準にして南北における隣棟間隔を定めていた。そして昭和一六年厚生省住宅規格協議会決議による「住宅及其ノ敷地設計基準」において、標準冬時六時間、最少冬至四時間の日照を確保することとされ、同二三年建設省住宅基準調査委員会作成の「昭和二三年度住宅基準」にも冬至四時間完全日照の定めがあり、これらは以後の公的、私的建築設計の基本とされている。
(三) 公営住宅についていえば昭和二三年住発第九三号、同三七年住発第六五号建設省住宅局長より都道府県知事宛公営住宅設計基準の「各棟の南北隣間隔は平家住宅にあつては六米を標準とし、二階建住宅にあつては別表第一により冬至四時間の日照が確保されるように定めること」なる規程が現在も適用されている。公団住宅についていえば、公団住宅設計基準(昭和三八年七月二六日住宅公団達第一三号(イ))第一章第一三条が「住宅の一以上の居室の日照時間は、冬至において原則として四時間以上とする。ただし高度に土地を利用することが必要な市街地等で、敷地の状況により前段の規定により難いときはこれを一時間以上とすることができる」と規定している。そして市街地団地においても現実には二時間以上の日照が確保されている。また日本住宅公団市街地住宅課の日照計画では「最下階住戸の一部で最も日照条件の悪いところで、二、三時間程度。現在住宅公団がつくつている住戸の質と入居者即ち国民の生活レベルでは日照を無視できず、具体的にはふとんや洗濯物を直射日光にあてたい、冬の室温を日光によつて確保したい、という希望を無視できない」として、今後の住宅設計における日照問題を重視している。なお一般に団地の建設に関しては、昭和三六年団地設計要領第七次案第三章「団地計画」3の(2)「各棟の南北隣間隔は平家敷地境界については南面は境界から一七メートル離して建築する」旨の規定が適用されており、現実には隣接建物も敷地境界から五メートル以上離して建てられている関係上二五メートル以上の隣棟間隔が保持されて冬至四時間日照が確保されている。
(四) しかして東京(北緯三五度四一分)に例をとれば冬至四時間日照を得るためには南北の隣棟間隔を南側建物の高さの一、九倍必要とする。そして東京ではこの比率が公営、公団住宅のみならず、官公庁、一般建築の基準とされている。
(五) ところで、太陽光線による室内気温の維持、紫外線による殺菌作用、採光の確保の必要性は、前記のように現在の国民水準からして要請されるものなのであるから、公団公営住宅等の居住者の場合と同様、一般市民の住居に関しても考慮されねばならない。医学的にも住宅の日照は最少限四時間望ましい目標は八時間程度とされているのである。新聞紙上等でも冬至四時間日照は常識として取扱つている。
(六) 以上のように今や我が国において、住宅における日照は少なくとも冬至において四時間必要であるということは定説であり、これを基準にしていることは事実たる慣習といえる。
2 日照権の主体
日照権は宅地及び住宅と隣地の日照障害物との関係であるから、宅地所有者、借地権者、建物所有者、建物占有者が日照権者である。債権者山田はその占有する土地、建物の所有者から右建物を賃借していたのであるが、右所有者が死亡しかつ相続人が不明なため、現在では単なる占有者にすぎないが、仮りに建物占有権者が日照権の主体たり得ないとすれば、同債権者は予備的に債権者代位権に基づき氏名不詳の土地家屋所有者に代位して本件申請をする。
3 債務者らの本件アパート建築行為の違法性
(一) 信義則違反
建築基準法一条は「この法律は、建築物の敷地、構造、設備及び用途に関する最低の基準を定めて、国民の生命、健康及び財産の保護を図り、もつて公共の福祉の増進に資することを目的とする」とうたい、これを受けて同法二九条は「住宅は、敷地の図面の状況によつてやむを得ない場合を除くほか、その一以上の居室の開口部が日照をうけることができるのでなければならない」とし、同法二八条は「居室には採光のため窓その他の開口部を設け、その採光部の面積は、住宅にあつてはその居室の床面積の七分の一以上としなければならない」と規定している。このように、同法は日照権を意識的に考慮し建物新築にあたつて最低限右の配慮を要求しているのであるから同法の精神から考察して、建物を新築する者には北隣の住宅の日照通風を阻害しないよう十分配慮すべき信義則上の義務ありというべく、殊に本件のような住宅地域に巨大な鉄筋コンクリートの建物を建築しようとする場合において特に然りである。しかるに債務者松岡がかかる配慮を全く払つていないのは信義則に著るしく違反する行為である。
(二) 本件仮処分により債権者らが差止を求める部分は本件アパート四階の北側部分で本件仮処分申請が認められれば三階にくらべて約三分の一位部屋として使用できなくなるが、設計を変更してベランダ、便所、台所などにすれば有効に使用できるのであるから、債務者松岡の損害は皆無とはいえないまでも債権者らのそれに較べれば微々たるものである。
(三) 加害の意図
ア、債務者松岡は東京都建築課に提出した本件アパートの建築確認許可申請書には、本件アパートを債権者らとの境界から六米離して建築するような設計図を添付しておきながら、許可を受けるや別に用意した設計図をもとにして境界から三米余の距離しかおかないで本件アパートの建築工事をしている。これは本件アパートの建築につき東京都がほかならぬ債権者らの日照、通風に対する考慮から六米の距離をとるべき条件を示したのに対し、これを受入れるが如き装つて虚偽の図面を作成提出し、この旨東京都を欺罔して許可を受けたものであると考えられる。
イ、更に同債務者は既に工事着手以前から債権者らの土地を買収しようと企て半ば強制的な態度に出ていたが、債権者らの同意が得られないと見るや、迷惑がかかつても知らないとおどした上、突如本件アパート建築工事を開始したもので、同債務者の行為には債権者らの土地を不当に安く買収しようという底意がある。
4 差止請求
かくの如く、本件アパート建築により債権者らの人格権が著しく、かつ回復不可能なまでに侵害される反面、債務者らの行為が信義則に違反しかつ債権者らに対する嫌がらせの一面をも持つ本件においては、債務者松岡の本件アパート建築は、たとえそれ自体は合法的なものであつても、権利の濫用というべく、債権者らの受忍の限度を遙かに越えたものというべきである。これを要するに債務者らの行為の違法性の程度は極めて高度であるから、債権者らは債務者らに対し、右妨害行為の差止請求権を有するというべきである。しかして日照権は前記のとおり冬至四時間日照をその内容とするから、債務者松岡は債権者らの冬至四時間日照を侵害しない限度で建物を設計、建築しなければならない義務を負うのであるが、本件においては債権者らは一歩譲つて、本件アパートの三階の北端を通る四時間日照線を確保しようとするものであり、これは債務者らの立場を十分考慮した要求なのである。
五、所有権
債務者らの行為は前掲第三、三の(三)記載の如く、債権者ら所有の土地建物の価額を著しく低廉となし、その所有権を侵害するものであるから、債権者らは所有権にもとづく妨害予防ないし妨害排除請求権にもとづき本件申請をする。
六、日照地役権
土地所有権は本来所有地に隣接する土地の存在を前提として初めて意義があるもので、隣地の存在を無視することはできず、この意味で絶対不可侵の権利ではない。かかる見地から定められたのが地役権の規定である。よつて各個の土地所有権の具体的内容は土地の所在地、現況によつて定まるということができる。ところで、住宅の構造、様式が日光の享受を前提としている我国では、日照、通風は宅地所有権の重要な要素である。したがつて、隣接土地間において、日光が南側から来るのであるから南側土地を承役地、北側土地を要役地として日照地役権が存在しているということができる。この地役権は毎日の日照享受という点で継続的地役権の一種であり、日照享受の事実が外部から認識されるという点で表現的地役権の一種である。したがつて日照地役権も民法二八三条により時効取得の対象となるというべきである。
債権者北川両名、同国松、同堀内、同山田は昭和二六年、同曾根は同二九年それぞれ家屋を建築し、本件土地を通過してくる太陽光線を宅地のために利用し、日照地役権の行使をはじめた。そして債権者らの家屋建築、居住及び本件土地を通過する日光の享受は平穏かつ公然になされたものであり、また本件土地が都有地で建物なく今後も宅地として利用されないと思つていたし、都の通告などもなかつたから善意、無過失であつた。よつて民法一六二条、一六三条、二八三条により、各債権者は日照地役権を一〇年間行使した時点において、右権利を時効取得した。よつて、日照地役権にもとずく妨害予防又は排除請求権により本件申請をする。
七、塀について
債務者松岡は債権者らとの境界とおぼしきところへ、一方的に別紙第一図面見取図の青線部分に債権者側の敷地から八五センチの高さのコンクリートの壁を築き、その上にブロックで一八〇センチの塀(以下本件塀という)を築いた。この為右塀まで1.9米しかない債権者曾根方住居では通風、採光を奪われ、室内は日中から電灯を必要とする有様である。一方債務者松岡には本件塀の必要性はない。すなわち、盗難防止のためなら金網で足り、観望防止のためなら本件アパートの窓に目隠しをすればよいし、大体本件土地よりも債権者らの土地の方が一米近く低いのだから同債務者が観望防止の心配をする必要はそもそもないのである。また土砂流失防止のためならコンクリート壁だけで十分である。同債務者の行為は債権者らの本件アパート建築に関する反対陳情のため六カ月も許可がおりなかつたことや、債権者らが土地買収に応じなかつたことに対する腹いせからか、債権者らの土地を安く買うためのいやがらせである。右塀は本件アパートの北側により直接日照には関係ないけれども、アパートで日照を奪われ、更にかかる高い塀を作られることは債権者曾根にとつて、一生刑務所の壁をながめながら獄中生活をする状態に追いこまれるに等しく耐え難いものであり、本件塀の建築は権利の濫用であるから、同債権者は所有権に基づき、本件塀のうち別紙第一図面見取図の赤線の範囲に付き同債権者方地表から1.8米を越える部分の撤去を求める。
八、債務者辰村組に対する請求
債務者辰村組は前記の如く債務者松岡から本件アパートの工事を請負い、目下建築工事中である。債務者辰村組は右工事をすることによつて債務者松岡と同様債権者らの前記諸権利を侵害することになる。よつて債権者らは同債務者の違反な侵害行為の予防を求めるため本件仮処分を求める。
九、必要性
債権者らは前記諸権利に基づき妨害排除請求の本訴を提起すべく準備中であるが、本件アパートが完成されてしまうと、生活上甚大かつ回復できない損害を蒙ることになるので、これを避けるため申請の趣旨記載の仮処分を求める。
第四 申請の理由に対する答弁
(債務者松岡)
一、申請の理由一の1ないし5記載の事実は全部不知。
同6記載の事実中、債権者らが各自の土地を取得し、建物を建築した日時は不知、その余の事実は否認する。債務者松岡は昭和三一年七月二五日本件土地(ただし面積は1,250.71平方米)を東京都の競争入札による払下げで落札し、その所有権を取得した(もつともその中東側66.69坪―220.46平方米―は同四〇年二月一一日首都高速道路公団に買収された)のであるが、本件土地は元都電恵比寿線の車庫であつたものを廃軌道敷地として払下げられたものである。当時本件土地には北側から債権者らの庭の樹木が侵入繁茂しており、南側は国立科学博物館付属自然教育園の土地が高台から傾斜地をなして本件土地に続いており、右高台及び傾斜地には樹令数十年ないし百数十年の老木がうつそうと生い茂つて夏季はジャングルを思わせ、冬枯れの季節でも密生する枝幹が日照を妨げ債権者ら居住建物に殆んど日の当らない状態であつた。また債権者ら住居はその位置及び構造上互いに日照を妨害し合つていたのである。従つて債権者ら居住建物には日照権は従前から存在しなかつたのであるが、最近本件土地の南側に自然教育園の一部を通つて首都高速道路二号線が建設された際一部樹木が伐採され、更に本件アパートの建築工事にあたり工事の妨げとなる枝が切りとられたために債権者らの住居に日が当るようになつたのであつて、本件アパートが完成しても右伐採前の状況に比すれば、却つて債権者らの日照事情は良好になる筈である。
二、申請の理由二の1記載の事実中、債務者辰村組に本件アパートの建築工事を請負わせたこと、本件土地が建ぺい率六割地区であることは認める。同2記載の事実は否認する。本件アパートと債権者らの土地建物との位置関係の実際は別紙第二図面記載のとおりである。
三、申請の理由三の1、2、3、の(一)及び(二)記載の事実は否認、同3の(三)記載の事実中本件土地付近がビルディング、住宅等の密集する住宅地であることは認めるが、その余は否認、同4の事実は否認する。同5の事実は全部否認、同6の事実中債権者らの身分関係は不知、その余は否認する。なお仮りに債権者らやその家族に特殊な病気があつたり、特殊な職業に従事している者がいるために損害が発生するとしても、それは通常生ずべき損害ではなく、債務者らの予見しうべきものではないから本件仮処分申請の根拠とはなり得ない。
四、申請の理由四の1について
我国の法規及び判例においては、私法上日照権は認められていない。直射日光を享受する利益を通俗的に日照権と呼ぶことはできても、法律上そのような権利は存在しない。
同(一)記載の事実は否認する。
同(二)記載の事実中、債権者ら主張の各基準の存在は認めるが、その余は否認する。住宅の設計又は建築について右のような行政上の基準が設けられていても、これらは住宅の設計者に対して設計上の希望を述べただけであつて、民事的私法関係を律する法規ではなく、日照権を認めたものではない。同(三)記載の事実中、債権者主張の各種設計基準や要領案の存在は認めるが、その余は否認する。公営住宅設計基準は公営住宅の設計者に、設計上考慮すべき点を注意したにすぎないものであり、一般住宅の設計基準ではない。公団住宅でも日照についての設計上の注意点は賃貸住宅の場合と分譲住宅の場合、郊外住宅と市街地住宅とにより大きく異る。たとえば、債権者ら主張の公団住宅設計基準第一章一三条但書によつてみても、冬至四時間完全日照なるものは認められていないのである。しかも、本件土地は環状六号線の内側であつて従前より高密度中高層住宅地であつて、右基準の適用さえないこと明白である。なお、債権者ら主張の団地設計要領第七次案はすでに廃止されており、現在の基準ではない。
同(四)及び(五)記載の事実は争う。
同(六)記載の事実は否認する。
五、申請の理由四の2記載の事実は否認する。
六、申請の理由四の3について
同(一)記載の事実中、建築基準法一条、二九条、二八条の文言が債務者ら主張のとおりであることは争わない。しかし、同法の右各法条は官庁の建築認可基準を定めたもので、民間の相隣関係について日照権を認めたものではない。
同(二)記載の事実は否認する。債権者ら主張のような設計変更をすれば、設計料のほか既設部分や内部構造に重大な変更を生じ甚大な損害となるし、完成後の建物の使用収益の上でも莫大な損害を生じる。
同(三)記載の事実は全部否認する。本件アパートの建築許可確認申請書添付の設計図は債権者らとの境界線から建物まで四米の距りを置いており、六米としてあつたのではない。尤も係官から六米離してはどうかと勧告を受けたのでその旨の設計図を試作して提出したことはあるが、再実測の結果本件アパートの南側一部が本件土地からはみ出してしまうことが判明したのでこれを撤回し、係官の了解を得て右申請書添付図面のまま許可を得て着工したのである。
要するに債務者らの本件アパート建築工事は、建築基準法に基づき適法に所轄官庁の許可を受けたものであり、憲法に保障された正当な所有権の行使であつて何らの不法もないものである。
七 申請の理由六について
日照権なるものが我私法上存在しないのであるから、日照地役権なるものの主張は民法一七五条に違反し、法律に定めなき物権を創設しようとするもので適法性がなく、また前述した本件土地の日照状況からしても、かかる地役権は存在し得ない。更に、債務者松岡は前記の経緯で本件土地を落札し、それと同時に本件土地を宅地として所有権を行使できるようになつたのであるが、もし債権者らが本件土地を使用したければその時入札に参加する機会があつたのである。このように所有権を取得しようとすればできたのに、それをしないで適法に落札した債務者松岡に対し使用権を主張することは許されない。
八、申請の理由記載の事実中、債務者松岡が塀を構築したことは認めるがその余は全部否認する。
本件土地は南側の自然教育園の高台に連なる地形をなし、従来から債権者ら住居の敷地より相当高かつたのであるが、更に昭和四〇年秋頃、前記高速道路工事が行なわれ堀上げられた土砂が本件土地に捨てられたため本件土地は債権者ら所有地より一米以上高くなつていた。従つて本件塀の高さは本件土地からはかれば二米にすぎず、しかも債権者国松の既存ブロック塀より一〇センチ低く、同債権者の西隣の申請外鎌田満佐方の万年塀より三四センチ低いのである。本件塀は盗難防止、土砂流失防止のために必要なものであり、民法二二七条により適法に築造されたものである。
九、禁反言の法理
債権者北川桃雄は昭和四二年春頃その所有家屋につき、工事確認申請書を提出せず確認許可を受けないで約四八平方メートルの増築をなし建築基準法六条に違反したものであり、債権者国松、同堀内、同山田もそれぞれ建築基準法に違反していながら、隣地所有者に日照権を主張するものであるし、債権者曾根は、本件アパートの地鎮祭において神主として工事の竣工と作業の安全を祈祷しているのであつて、いずれも本件の主張は禁反言の法理にふれ許されないものである。
(債務者辰村組)
一、債務者辰村組は、日照権に関する債権者らの主張に対し次項のように反論するほか申請の理由記載の事実に対する答弁は債務者松岡の答弁を援用する。
二、日照権は私法上の権利ではない。ただ他人の日照を徒らに妨害する行為は権利行使の範囲を超えるものとして違法性を帯びることがあるに過ぎない。仮に今一歩を譲つて債務者らの行為に違法性があるとしても、過密人口と土地の狭あいに悩み、ビジネスライフに基幹が存し、快適な住居としての適応性を失つた今日の東京において、時代の要請である高層建築という他人の合法的な権利行使を制限すべしとするのは既得権の濫用である。債権者らとしては日照利益の具体的侵害をまつて補償請求権を行使できるに止まり、工事の差止を求めるが如きことは許されないというべきである。これは社会経済上からも当然の帰結である。
第五 債務者らの主張に対する債権者らの反論
債権者ら所有家屋には違法建築はなく、また各債権者の建物は東西に並んでいるので南側からの日照を互に妨げ合うようなこともない。
第六疏明<略>
理由
第一、本件アパートに対する申請について
一、<証拠>を総合すると、次の事実を一応認めることができる。
1 債権者北川桃雄は昭和二五年頃東京都品川区上大崎二丁目二番四号に別紙目録第一記載の土地を妻北川ふぢ名義で取得し、同記載の建物を建築し、その後昭和四一年三月頃同建物の西側隅に木造モルタル塗り二階建面積約一二坪の建増しをして、妻ふぢ及び長男の債権者北川安正夫婦とその長男正之(昭和四二年一二月二九日生)と共に居住している。
2 債権者曾根朝起は右同所同番三号に昭和二五年頃別紙目録第二記載の土地を取得し、昭和二九年頃から居住し、現在は同記載建物の階下に妻いわよと居住して、二階部分はアパートとして四世帯に賃貸している。
3 債権者国松ふみ江は右同所同番二号に別紙目録第三記載の土地及び建物を所有して居住している。
4 債権者堀内義房は右同号に別紙目録第四記載の土地及び建物を所有して妻キヨ及び長男義治と共に居住している。
5 債権者山田恒治は右同号に居住している。
二、ところで債権者らの日照関係についてみるに、<証拠>を総合すると、本件土地は債権者らの所有地の南側に沿つて東西に細長く存在し、更にその南側は国立科学博物舘付属自然教育園(以下自然教育園と略称する)に接しているが、同園内の土地はやや高台になつており、かつ、かなりの樹令を経た樹木が密生し本件土地との境界付近の樹木の枝は本件土地に高くおおいかぶさるように張り出していたこと、ところが昭和四〇年頃首都高速道路二号線が本件土地寄りに若干の飛地を残して自然教育園内を貫通されたため右道路敷地部分の樹木は伐採され、また本件アパート建築に着手するに際し本件土地上に侵入していた枝は剪除されたこと、しかしながら、これら樹木は冬季にはすつかり落葉するし、債権者ら住居との間には本件土地が存在しているため、右樹林はその一部の伐採や枝の剪除が行われる以前から債権者らの住居の日照の妨げとなるようなことはなく、債権者国松の居宅の陰になつている債権者山田を除いて、その余の債権者らの住居は南側からの日照と通風を遮るような障害物を持たず、これらの利益を年間を通じて終日十分に享受していたこと、以上の事実が疏明される。<証拠>中右認定に反する部分は前掲証拠に照したたやすく措信できず、他に右認定を覆すに足る資料はない。
なお債権者山田の住居(平家建)は右認定のように債権者国松所有の住居(二階建)の陰になつて、従前から南側からの日照は無かつたのであり、本件アパートの建築により日照を遮断されるものとは認められないから、同債権者の申請はその余の判断をするまでもなく失当である。よつて以下は同債権者を除くその余の債権者らの主張についてのみ判断する。
三、申請の理由二の1で債権者らの主張する本件アパートの構造規模を債務者らは明らかに争わないから自白したものとすなす。右事実に<証拠>を総合すると、本件アパートは債権者ら住居の真南に、債権者ら所有地との境界線から約四米余りの距りを置いて東西に四四米の長さに建築される高さ13.15米の鉄筋コンクリート四階建のものであるが、債務者松岡は前記高速道路建設工事の際多量の捨土が発生したのを本件土地に捨てさせて地ならしをしたため、本件土地は債権者らの土地より約一米高くなつており、結局本件アパートの高さは債権者らの地表から見れば一四米余りになること、そして債権者の中で境界線に最も近い債権者曾根の住居の南面と右境界線との距離が二米足らずであることにつき当事者に争がない(債権者らの主張によれば1.9米、債務者らの主張によれば1.8米である)から、同債権者宅と本件アパートとの距離は約六米となることが疏明され、これを左右するに足る資料はない。
そして更に<証拠>を合せ考えれば、本件アパートが完成すると冬至の頃である一二月二一日において、債権者ら住居の南面に対する日照状況は、債権者北川両名方で午前九時頃に東側約三〇%ほどの部分に日照を受けるが、一一時頃からは全く日が当らなくなり以後終日日陰となり、債権者曾根、同国松、同堀内はいずれも午前八時以前から日陰となるが、債権者曾根方はそのまま終日日が当らず、債権者国松方では午後一時頃になると約半分ほど日照が回復し、二時過ぎからはほぼ全面的に日が当るようになり、債権者堀内方では午後二時過ぎから全面的に日が当るようになること、そしてこの状態は一一月から二月までの冬季四ケ月間ほぼ大同小異であることを一応認めることができる。<証拠>のうち各右認定に反する部分は採用しない。
なお<証拠>によれば、本件アパートの建築工事着工後、一部設計変更がなされた結果、本件アパートの位置が約三〇センチ南へ寄つた事実が認められるが、これが右に認定した日照状況に見るべき変化を与えるものとは考えられない。
そして<証拠>によれば、本件アパートが完成すれば右認定のように冬季の日照の大部分が奪われる結果、ほぼ申請の理由三の3の(一)で債権者らの主張するような金額の暖房、照明費用の支出増加が予想されるほか、通風も障害されることが予想されるので、殊に債権者曾根及び同北川両名並びにその家族は将来の生活につき深刻な不安を抱き、且つ本件アパート建築工事の騒音、振動による苦痛も伴つて既に精神的肉体的に相当の打撃を受けていること、債権者曾根夫妻及び同北川桃雄夫妻はいずれも老令である上、特に債権者北川桃雄は共立女子大学教授として東洋美術史を専攻する学者であつて、自宅に和本を主とする蔵書数千冊その他美術品を有し、専ら自宅で研究生活を送つているものであり、書斎、書庫を増築して間もないため湿気に対する蔵書等の保存と研究活動の能率低下を憂慮している事実が疏明され、これらの事実によれば、債権者らは本件アパートが完成すれば生活上大きな不便と苦痛とを忍ばねばならなくなるであろうことが推測される。なお債務者松岡は、債権者らの中に特殊な職業についている者のいることは特別事情であつて債務者らの予見し又は予見しうべきものでないから仮処分申請の根拠となり得ないと主張するが
<証拠>によれば、債務者松岡の社員である亀岡淳伍、星薫光、大山教男らは土地の売買交渉のため度々債権者北川桃雄宅を訪れ同債権者の妻ふぢと面談しており、同債権者が学者であることは熟知していたことが認められるから、同債務者は同債権者の職業は充分認識していたものと判断される。
四、債権者らは右のような事実関係のもとに、日照権にもとづき本件アパートの建築工事の一部の差止(又は取毀し)を求めるものである。そして債権者らは日照権の内容として冬至において住宅に四時間の日照を受ける権利を主張し、その根拠として建築界における慣行と公営、公団住宅における設計基準とその適用をあげるのである。しかしながら
1 <証拠>によれば公団住宅(日本住宅公団が建設する住宅をいう、以下同じ)の場合、公団住宅設計基準(昭和三二年四月五日公団達六号、改正昭和三八年六月二六日)第一三条は「住宅の一以上の居住室の日照時間は冬至において原則として四時間以上とする。ただし高度に土地を利用することが必要な市街地で敷地の状況により前段の規定により難いときは、これを一時間以上とすることができる。」と規定しており、すでに市街地においては冬至四時間日照の原則を採用していないことが認められるのであるが、<証拠>によれば、一般に公団住宅の場合郊外団地の設計配置においては、冬至正午を含む四時間日照の確保が一応の原則とされているけれども、市街地住宅にあつては「面開発市街地住宅建設事業」(東京都区内および大阪市内にあつて、都心への通勤に極めて便利な地域に賃貸住宅にあつては原則として三ヘクタール以上、分譲住宅にあつては二ヘクタール以上の大規模な土地を全面買収により取得して、良好な住環境を確保し大量に住宅を供給することを目的として、比較的高密度の高層住宅を集団的に建設する事業)による住宅において、辛うじて最低正午を含まぬ二、三時間の日照が確保されているにすぎず、一般の市街地施設付住宅にあつては日照通風などの居住性は更に妥協を強いられている事実を一応認めることができる。
3 <証拠>によれば、公営住宅建設の場合には冬至四時間完全日照を得るために、東京(北緯三五度四一分)において、建物の南北間隔を原則として南面壁体の高さの1.9倍となる基準が存在することが疏明される。
しかしながら、注意すべきことは、公団住宅又は公営住宅につき存する右のような日照基準は、大規模な土地に良好な住環境を確保することを一つの目的として、計画的にしかも中高層建築物として建設されるこれらの住宅にしてはじめて遵守され得るものであつて、細分化された敷地に建設されるのが普通である市街地の一般民間住宅をこれと同日に論じるのは実状にそぐわない議論であるのみならず、右基準はいずれもこれら公団又は公営住宅につき考えられていることであつて、これら住宅の北側隣地にある民間住宅との関係につきいわれているのではないということである。
<証拠>によれば、公団又は公営住宅が建設された場合、背後地に日陰を落し、民家の日照を奪う現象が生じている事実が認められるのである。
3 <証拠>によれば、一般民間住宅の建築についても、隣棟間隔を南側建物の高さの1.9倍となる原則が建築界に存することが一応認められるが、これも結局理想的な場合をいうにとどまり、現実にかかる慣行が行われているとは認められない。
結局債権者らの冬至四時間日照を内容とする日照権の主張は前提を欠く議論であつて採用できない。
五、したがつて日照権なる社会的生活利益はいまだ権利として確定した内容をもつものとは解せられず、この権利にもとづき差止を求める債権者らの申請は失当であると断ぜざるを得ない。しかし、およそ住宅における日照、通風の確保は、快適で健康な生活の享受のために必要にして欠くことのできない生活利益であることは明らかであり、これは自然から与えられる万人共有の資源ともいうべきものであるから、かかる生活利益としての日照、通風の確保は、これと衝突する他の諸般の法益との適切な調和を顧慮しつつ、可能なかぎり法的な保護を与えられなければならず、日照、通風の妨害が諸般の事情からして被害者の受忍すべき限度を越えると認められるときは、違法な生活妨害として不法行為を構成するということができる。しかして、右の妨害が被害者の受忍限度を著しく越え、金銭賠償をもつてしては救済できない段階に立ち至つたような場合には、不法行為に対する差止請求が認められるものというべく、この理はその妨害が将来確実に予想されるものである場合でも異るところはないというべきである。
そして右受忍限度を判定するに当つては当該場所の地域性、加害行為の態様とこれに対する社会的評価、加害者の意図、侵害の程度、損害の回避可能性、科学の進歩による代替的生活利益供与の可能性、差止による異常損害の有無などの事情を広く比較検討することが必要である。
そこで、以下本件において予想される日照通風の妨害が受忍限度を著しく越え差止請求が認められるほどのものかどうかにつき判断する。
1 この判断にあたり、まず重視されるべきは、本件土地の地域性である。けだし、日照、通風という生活利益は法的保護に値するといつても、その保護される程度は場所的関係によつて大いに左右されざるを得ない性質のものだからである。
ところで、<証拠>を総合すると、本件土地の南側には首都高速道路二号線が走つており、更にその南側は広大な自然教育園になつているが、本件土地の北側一帯には木造平家建又は二階建の住宅が密集しており、中に二階建又は三階建のコンクリート造住宅又は共同住宅も二、三存在するほか、債権者等居宅北側の道路を隔てて日中友好協会の三階建ビルがあり、また本件土地の西方ほど遠くないところには、日本ビール工場が存在すること、なお最近本件土地近辺では高層ビルが盛んに建築されていること、建築基準法上の用途地域指定では、本件土地は住居地域に指定されているが、その附近一帯は住居地域と準工場地域と住居専用地域が入り混つたようなところであること。本件土地の東端は首都高速道路二号線の通称白金トンネルの北側出口にあたり、附近住民は自動車の騒音に悩まされていること、以上の事実を一応認めることができる。而して、本件土地が通常都心と呼ばれる、環状六号線と荒川放水路などで囲まれた地域の内部にあることは、当裁判所に顕著な事実である。要するに、本件土地は現在高層化の進みつつある都心部の住宅地域に在るということができる。してみれば、本件土地は現今の都市事情からして遠からず高層化は避けられない地域に属するというべく、このような地域性の根底にある文化の急激な発達に伴う人口の爆発的な東京集中、その結果としての東京という人口過密化都市における住宅供給の現況とその促進の緊急性を考慮すれば、債権者らの所有する土地のような細分化された宅地上の平家建ないし二階建の住宅に万遍なく日照を確保することは、公平な私法的規整の立場からしては、実現困難であつて、その解決は総合的な都市政策に基づく立法及び行政上の配慮に属すべき問題であるといわざるを得ない。
2 次に債務者らの本件アパート建築行為の社会的価値ないし有用性について判断する。
<証拠>によれば、本件アパートの建築は建築基準法に基づき適法に許可を得たものであり、債務者松岡の合法的な本件土地所有権行使の一形態であるということができる。債権者らは同法二九条、二八条の規定をあげて本件アパート建築の違法性を論ずるが、適法に同法の許可を得た建築を同法の精神に違反し違法であると非難することは相当でない。また債権者らは、債務者松岡は債権者らに対して害意を有しているとして、本件アパートの建築確認許可申請に際し、債権者ら土地との境界から六米離して建築するような虚偽の図面を添付して東京都係官を欺罔した事実と、債権者ら所有地を不当に安く買おうとして圧力をかけ、債権者らがそれを断ると迷惑がかかつても知らないとおどして突如本件工事を開始したもので、同債務者は債権者ら所有地を不当に安く買おうという底意を持つているという事実とを主張するのであるが、これらはいずれも債権者ら提出の全資料によつても疏明ありとすることはできない。ところで<証拠>によれば、同債務者が本件アパート建築をする目的は本件アパートを賃貸して利益をあげることであつて、私的利益を追求するものということができる。しかしそうであつても、右認定のように建築法規違反も害意も認められない本件にあつては、債務者らの本件アパート建築行為は法的保護に値する通常の社会的価値をもつというべきである。
3 ところで本件仮処分により債権者らが受ける利益と債務者松岡が蒙る損害いかんというに、債権者側についてみれば、本件アパートが計画どおり完成すると、前掲三で認定したような日陰の状態が惹起されることが予想されるのである。そこで仮に債権者らの求める本件仮処分申請が容れられ、本件アパートの一部が建築されない場合に、債権者らの日照はどうなるかを検討してみると、
<証拠>によれば、本件アパートが二階建であると仮定した場合の一二月二一日における債権者ら住居南面の日照状況は、債権者北川両名方では午前九時頃で東側約三〇%に日が当るが、一〇時過頃から終日全面的に日陰になり、債権者曾根方では午前八時前から日陰になつて終日日が当らず、債権者国松方では午前八時前から日陰となるが、午後二時頃には西側半分ほどに日が当るようになり、その後恢復に向い、債権者堀内方では午前一〇時過頃から終日日光を受けられるこが一応認められる。これを前に認定したと本件アパート完成後の一二月二一日における予想日陰状態と比較してみると、債権者北川両名、同曾根、同国松の居宅については殆んど差異がなく、ただ債権者堀内方だけが午後二時頃からの日照が午前一〇時過ぎから受けられるようになり大幅に改善されることが認められる。二階建の場合でさえこの程度の変化しかないとするならば、本件アパートの四階北側部分の差止めのみを求める本件申請が容れられても、債権者北川両名、同曾根、同国松の日照が、本件アパートが計画どおり完成された時に比べて、いささかなりとも改善されるとは、少くとも冬季に関する限り認めることはできず、債権者堀川方においても果してどの程度の利益があるかについては何ら疏明がない。これに対し、本件仮処分命令が発せられれば、債務者松岡の蒙る損害は経験則上相当な額にのぼるものと推定されるから、結局本件においては、差止がなされた場合債権者らの受ける利益と比較して債務者の損害は異常なものといつて差支えない。
以上の諸事実を総合して考えれば、前掲三に認定したような不利益を債権者らが蒙ることを考慮しても、本件アパートによる日照妨害は、いまだ、本件差止請求を許容すべきほど著しく債権者らの受忍限度を越えるものと認めることができない。
六、所有権にもとづく妨害予防請求権について
債権者らは、本件アパートの建築により将来債権者ら所有の土地建物の価額が低下し、債権者らの所有権が著しく侵害されることは確実であると主張し、所有権に基づく妨害予防請求権により本件仮処分命令を求めている。たしかに本件アパートが完成して、前掲三で認定した日照状態の悪化が現実のものとなれば、そのことにより住居としての居住性に障害を生じるため、その価額がある程度低下するであろうことは想像に難くないとしても、その不動産価額の予想低下額につき具体的な主張疎明はなんらなされていない。元来このような現象は南側隣接地が更地であつたところへ建物が新築されるときには大なり小なり常に起るものともいえるのであつて、その為に北側隣接土地建物の価額が低下したからといつて、常に所有権の妨害として妨害排除ないし予防請求権が発生する筋合のものではない。本件においても既に認定したような当事者間の諸事実を考慮すれば、未だ妨害予防請求権を認めるに足りるほどの妨害のおそれがあるとは認められないから、債権者らの主張は理由がない。
七、日照地役権の主張について、
我民法上地役権の内容は明定されておらず、要役地の便益もその種類のいかんを問わず、財産上の価値を有すると精神上の利益たるにとどまるとを論じないものと解されるから、日照を害すべき建築物を建てさせない地役権も考えられないではない。しかしながら、かかる地役権は観望地役権と同種の不作為の地役権の一種と解すべきであるから、不表現地役権であつて、民法二八三条所定の表現性の要件を欠き、時効取得の対象たり得ないものである。従つて日照地役権の時効取得を理由とする債権者らの主張も失当である。
第二、本件塀に対する申請について
<証拠>を総合すれば、本件土地は既に第一の三で認定したように、債権者ら所有地よりも一米足らず高くなつているのであるが、債務者辰岡組は同松岡の依頼により、本件アパート建築工事にとりかかる前に債権者ら所有地と本件土地の境界線に沿つて別紙第一図面見取図青線部分にコンクリート製の土留をつくり、その上にブロック塀を構築した。本件塀の高さは本件土地表面からは1.8米であるが、本件土地が高くなつているため、前認定のように右塀から約二米しか離れていない債権者曾根朝起方家屋では、一階の庇の高さまで塀でおおわれ、その為座敷は採光を奪われて日中から電灯をつけなければならない状態で、同債権者夫妻は精神的にも極めて憂うつな毎日に送つている事実が一応認められ、右認定を左右するに足りる資料はない。してみれば、本件塀のため牢獄に入つたような状態である旨の同債権者の供述もあながち誇張とも思われず、このような状況をもたらしている本件塀は同債権者の土地及び住宅に対する所有権の円満な行使を妨害しているものと評価されるべきであるが、債務者松岡は本件塀は盗難防止、土砂流失防止のために必要なものであると主張するので判断するに、土砂流失防止のために本件のような高い塀が必要であるとは到底考えられないし、盗難防止の目的のためには、採光通風を妨げない金網のような材料で塀を作つても足りるのである。してみれば、債権者松岡にとつて、特に本件塀を必要とする理由はないというべきであるから、たとえ右塀の建築が民法二二七条に則つたものであるとしても、債権者曾根の土地及び家屋所有権に対する違法な侵害をなすものとして妨害排除請求の対象となるといわねばならない。なお債務者松岡は、本件塀は債権者国松の既存ブロック塀より一〇糎低く、同債権者の西隣の申請外鎌田満佐方の万年塀より三四糎低いから違法ではないと主張する。なるほど<証拠>によれば、同債務者主張のとおり本件塀に連なる債権者国松、申請外鎌田方の塀は段をなして次第に高くなつている事実が疏明される。しかしながら、<証拠>によれば、債権者国松が右のブロック塀を作つたのは、既述の首都高速道路工事の際、債務者松岡が本件土地を右工事を請負つた建設会社に賃貸したので、昭和三九年一月頃から同四二年八月頃まで本件土地上に飯場が設置され、そこに居住する労務者等が粗暴な言動をなすことが多かつた為、女世帯である債権者国松はそれを恐れて昭和四〇年六月頃に右塀を作つたことが一応認められる。申請外鎌田が塀を作つた理由は詳かでないけれども、いずれにしても何らかの理由で塀の必要を感じ自発的にこれを作つた右両名の場合と、自らは欲しないのに債務者らによつて本件塀を建てられた債権者曾根との場合では、塀に対する感じ方が全く異ることは多言を要しないところであるし、住居から塀までの距離も同じでない両者を比較することにより、本件塀が違法性を持たないとする債務者松岡の主張は採用できない。
してみれば債権者曾根は本件塀のうち、同債権者所有地との境界に存する部分につき妨害排除すなわち撤去を求める権利を有するわけであるが、その程度は同債権者の地表から1.8米を越える部分をもつて相当と認める。なお同債権者は債務者辰村組に対しても右塀の撤去を請求するが、所有権に基づく妨害排除請求の相手方は現に妨害の状態を支配しうべき権利を有する者に限られるのであり、同債務者がこれに該当しないことは明白であるから、同債務者はこの請求権の相手方たる適格を有せず、同債務者に対する申請は失当である。以上の次第であつて、本件塀に対する債権者曾根の申請は右の限度で理由がある。
第三、よつて債権者らの本件アパートに関する申請は被保全権利の疏明がないことに属し、疏明に代る保証を立てさせることも相当でないと思料されるのでこれを却下することとし、債権者曾根の本件塀に対する申請は、債務者松岡のため当裁判所が相当と認める主文掲記の保証を立てることを条件として、前記第二の限度でこれを認容し、その余は疏明に代る保証を立てさせる場合にも該らないのでこれを却下することとし訴訟費用につき民訴法九二条、九三条を適用して主文のとおり判決する。(長井澄 清水悠爾 小長光馨一)
目録<省略>